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今では有名なゴッホという画家

今では有名になっているゴッホですが、実は彼は亡くなってから有名になった画家です。
生前に売れた彼の絵の数は、「赤いぶどう畑」たったの1枚と言われています。
ゴッホはオランダ人で、大胆な色使いが特徴的な絵を描き、ポスト印象派の代表的な画家として知られています。

挫折だらけの人生

彼の挫折は画家になるまえから始まっており、中学を中退して16歳で大美術商であるグーピル商会に就職します。
しかし、19歳の時に下宿先の娘に恋しますが、彼女には既に婚約者がいたため失恋し、その失恋のせいで仕事に支障が出るようになります。
そのため、転勤させられてしまうのですが、それでも仕事に身が入らないままで、他の店員とはもちろん支配人とも関係が悪化、やがてクリスマスに無断欠勤して実家に帰ってしまい、そのまま22歳で解雇されてしまいます。

その後、イギリスの学校でドイツ語とフランス語を教えていましたが、突然宗教活動に目覚めます。
これには、父親が牧師であったことが関係しているのではないかと言われています。
24歳になったゴッホは、書店で働きますがやはり仕事に身が入らず、大学で宗教の勉強がしたい、とラテン語とギリシャ語を勉強し始めますが、挫折して大学に行くのも断念します。
それでも宗教の道は諦めなかったゴッホは、伝道師の学校に入りますが資格をもらうことはできませんでした。
その結果、ベルギーの炭鉱地帯で、何と勝手に伝道師としての活動を始めます。
その活動は認められることになりましたが、あまりに熱心すぎたため、半年後に却下されてしまいました。

伝道師をクビになったゴッホは、26歳で画家になると決め、絵の勉強を始めたのだそうですが、絵が売れなかったため亡くなるまでずっと、弟からの仕送りで生活していたと言われています。
27歳で子持ちの未亡人だった従姉に求婚しますが断られ、29歳になるとようやく支援者が現れますが、ゴッホが子持ちの娼婦と恋に落ちて同棲を始め、性病をうつされてしまうとこの支援者は離れていってしまいます。
弟から説得されて一人暮らしを始めますが、寂しさに耐えきれず実家に戻りました。

この後もゴッホは女性関係、人間関係で揉めることが多く、やがて体を崩してアルコールに依存するようになってしまいます。
やがて画家であるゴーギャンと共同生活を始めますが、よく喧嘩になったと言います。
ゴッホが自分の耳を切り取るという事件を起こしたのは、ゴーギャンがゴッホの自画像の耳について指摘したことが原因だそうです。
その後、ゴッホは精神病院に入院しますが、弟と口論したことがきっかけでピストル自殺をはかったと言われています。
弟もゴッホの死後、精神に異常をきたして半年後に亡くなったそうです。

ゴッホの生き方には、色々と考えさせられる点が多いですが、それと作品とは切り離して考えることが必要だと思っています。
それにしても、26歳から絵の勉強を始めたとは思えない作品を残していますよね。
評価されたのは亡くなってからですが、才能はあったということなのかもしれません。

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