サルバドール・ダリは、スペイン出身の画家であり、20世紀を代表する芸術家です。彼はシュルレアリスム(超現実主義)運動の重要な一員として知られており、その独特で独創的な作風で世界的に有名です。
6歳の時に初めて油絵で風景画を描いてから70代後半まで絵画はもちろん、彫刻や版画、舞台装置、衣装のデザイン、映画製作と幅広い芸術活動をしています。
ダリの作品は夢や幻想、サブコンシャスなイメージを描くことが特徴です。
彼の作品はしばしば非現実的で奇妙なシーンや風景、歪んだ形態や奇抜な象徴を特徴としており、観る者に強烈な印象を与えます。
ダリ自身も非常に個性的であり、奇抜な外見やパフォーマンスでも知られています。彼の作品と個人的な存在は、芸術界において強力な影響力を持っています。
彼の芸術は、常識や受け入れられたアートの枠を超える独自性と創造性を持ち、現代美術に大きな影響を与え続けています。

また、ダリは愛妻家としても有名です。フランスの詩人エリュアールの妻であったガラを略奪愛から自身の妻としています。
妻ガラは数多くの作品にも登場しており、ミューズ(ギリシャ神話の女神)のように描かれました。

サルバドール・ダリの代表作

ダリの代表作について紹介します。

記憶の固執

ダリの代表作といえば溶けたチーズの様な時計を描いた「記憶の固執」です。カマンベールチーズが溶けていく様子をジッと見てインスピレーションを得たとされています。
この作品はダリ自身のアイデンティティを表現した傑作です。また、ありえないモチーフを組み合わせて非現実的な絵画を作り上げたシュルリアリスムの代表作でもあります。
硬い時計と軟らかくなったカマンベールチーズという相反するものを融合させる、ダブルイメージを使った表現はインパクトがありますね。
また、この作品はダリ自身が持つ性へのイメージを描いたものという解釈もあります。
ガラに出会うまで女性不信であったダリにとって、硬いものは性的な興奮、柔らかいものは性的な不能を意味し、欲望と不安が同時に存在するダブルイメージでした。

茹でた隠元豆のある柔らかい構造(内乱の予感)

1936年に制作された油彩作品です。スペイン内乱を的中させたと予言的作品といわれ、この絵が描かれた半年後に実際に内乱が勃発しました。
この作品でダリは「潜在意識に予言力がある」と気づいたそうです。
別名「内乱の予感」は予言を証明するために戦後に変更しました。
ダリがこの内乱を予期していたのは民族争いに直面し暴動に巻き込まれるという出来事に遭遇したからです。
今にも爆発しそうなインゲン豆は争いが起きそうな予感を、全体が暗くなっている雲は、暗い将来を予期させるという表現です。

1936年制作とされていますが、研究によると1934年制作という説もあります。

レダ・アトミカ

不思議な空間の中に大きな白鳥を引き寄せようとする裸の女性が描かれた作品です。
レダとはギリシャ神話に登場する絶世の美女ですが、レダの顔がダリの妻ガラになっています。
レダはガラ、白鳥はダリになっていて、ダリ自身とガラの精神的な結びつきを表現しています。
しかし、よく見るとレダと白鳥は一切触れあっていません。これはつながっているように見えて原子レベルでは離れているという、原子の知見を作品に取り入れたものです。

メイ・ウェストの唇ソファ

ダリは絵画だけではなく、色々な作品を作成しています。その一つがダリによってデザインされたメイ・ウェストの唇ソファです。
ハリウッド女優であるメイ・ウェストからインスピレーションを得て制作されました。
メイ・ウェストは戦前アメリカのマリリン・モンローの様な存在です。そんなメイ・ウェストはダリにとっても理想的な女性だったそうです。

サルバドール・ダリのエピソード

ダリのエピソードについて紹介していきましょう。

長男の代わりに育てられたダリ

ダリは父方・母方とも由緒正しい家庭の子として生まれます。
ダリには3つ上の兄がいましたが、ダリが生まれる前に亡くなっていました。このことがダリに大きな影響を与えます。
ダリは5歳のとき両親から長男のお墓の前へ案内され、長男がいたこと、長男も同じ「サルバドール・ダリ」であることを告げられます。
このことがきっかけで5歳ながら「長男の代わりとして生きなければ両親に愛してもらえない」と考えるようになったそうです。
ダリの母親も元画家ということもあり、6歳から絵を描き始めます。そんなダリに対して母親は溺愛し、才能を応援する存在でした。

妹アナ・マリアとの決別

1921年にダリが17歳のとき最愛の母が他界します。当時ダリはサン・フェルナンド王立美術アカデミーに通っていましたが、母を亡くしたショックで反抗的になり、のちに放校処分に。
ダリの荒れた欲求は4歳下の妹アナ・マリアに向けられます。
理想の女性としてダリの作品に何度も登場し、兄妹以上の感情が注ぎ込まれているように見えますが、ダリの一方通行だったようです。
アナ・マリアは後年「妹からみたサルバドール・ダリ」という暴露本を出版。ダリの性的嗜好を含むプライベートを赤裸々に書かれた内容でした。
これを知ったダリは激怒し、相続権のはく奪にダリの葬式の参列すら禁じています。
暴露本の出版から5年後、妹への復讐として「自分自身の純潔に獣姦される若い処女」を描いたとされています。

シュルレアリスム(超現実主義)にハマっていく

放校処分になったあと、パリを訪れたダリは当時パリで流行していたシュルレアリスムに出会います。
シュルレアリスムとは無意識というフィルターを通じて、アーティストの心の中や人生で影響を受けたことを正直に表現するという考えのことです。
多くのコンプレックスを抱えていたダリが、人の内面を突き詰めるシュルレアリスムにハマっていくのは自然の成り行きといえるでしょう。
そして、シュルレアリスト時代に発明したのが「偏執狂的批判的方法」です。1つのイメージでも、記憶や妄想というフィルターを通すことで、人それぞれで見え方が違うという絵画理論です。
代表的な作品として「記憶の固執」があります。

妻ガラが大好き

ダリは「ガラ以外、すべて敵である」「私のすべての絵画はガラの血で描かれた」と述べるほどの結びつきでした。
ガラはダリより10歳以上年上ですが、ガラの包容力にイチコロだったそうです。
優秀なマネージャーだったガラはダリの創作活動を支えました。
お互いが晩年にさしかかるころには色々な葛藤はあったそうですが、1982年にガラが先立たれてからは「自分の人生の舵を失った」と激しく落胆。
その翌年を最後に、絵を描くことはなくなりました。

奇人を演じる?

ダリはガラのマネジメントやプロモーションの甲斐があり、アメリカで大ブレイク。
絵画だけではなくインテリアデザイン、演劇舞台美術など大人気でダリが作れば何でも売れたそうです。
同時に「潜水服を着て講演会に登場。しかし酸素供給がうまくいかず死にかける」「象に乗って凱旋門を訪問」「リーゼントだよといいながらフランスパンを頭に乗せて登場」など、ダリの奇行はマスコミでも報道されます。
世間的にダリは「天才すぎておかしい人」というイメージを持たれるようになりました。
しかし、プライベートではまじめでおとなしい人だったそうです。ガラのマネジメントもあって「奇人ダリ」を演じていたのかもしれません。

チュッパチャプスのロゴをデザイン

チュッパチャップスといえば世界中で販売されているロリポップ(棒付きのキャンディ)の代名詞です。
チュッパチャップス社はダリと同じスペイン人であるエンリケ・ベルナートによって1957年に創設された会社で、チュッパチャップスの発明者でもあります。
あのロゴは、1968年にエンリケが直接ダリの家を訪問してロゴを依頼したそうです。
二人で昼食に出かけて、食事の合間に1時間もたたないうちに、ダリは紙ナプキンにデイジー(ひな菊)を描いたとのこと。
エンリケがこれを大変気に入り、これがチュッパチャップスのロゴの原型となったのです。

食に強いこだわりを持っていたダリ

自伝「わが秘められた生涯」には「6歳のとき、私はコックになりたかった」という書き出しから始まりから分かりますが、ダリは食に強いこだわりがありました。
ついには「ガラの晩餐」まで出版しています。
好物は甲殻類やウニ、カタツムリ、卵といった固い殻をもつもので、反対に軟らかくて形のない食べ物、ほうれん草が嫌いだと公言していました。
しかし、昼食のカマンベールチーズが溶けている場面から発想したといわれる「記憶の固執」や自伝には「玉ねぎつきの兎肉をくれたまえ」というシーンがあり、好き嫌いは演出のように見えますね。

サルバドール・ダリの名言

ダリの名言について紹介します。上述にある通りダリは奇人を演じていた部分もあったことを踏まえて、名言を読むと考えさせられるかもしれません。

「毎朝起きるたびに、私は最高の喜びを感じる。”サルバドール・ダリである”という喜びを」
「天才を演じると、天才になれる」
「完璧を恐れる心配はない。決してそこには到着しないから」
「私はドラッグをしない。私自身がドラッグだ」
「”志”のない知恵は、翼のない鳥に等しい」
「何も真似したくないと思う者は、何も生み出さない」
「一人ひとりの人間が究極かつ絶対的な自由を持っている」
「人間は自由だ。常に自分の選択で行動すべきだ」
「制服は征服するために欠かせない。私はいつもダリという制服を着ている」
「もっといい時代はあるかもしれないが、いまが我々の時代なのだ」
「神々と肩を並べる方法は、一つしかない。神々のように残酷になることだ」
「狂人と私の違いは一つだけ。狂人は自分が正気だと思うが、私は自分が狂っていることを知っている」
「すべてが私を変えようとするが、何も私を変えられない」

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