ルネサンス期を代表する画家、ダ・ヴィンチ

レオナルド・ダ・ヴィンチは、イタリアのルネサンス期を代表する芸術家です。
フルネームは、レオナルド・ディ・セル・ピエーロ・ダ・ヴィンチです。
芸術の分野だけでなく、建築や科学、数学、発明、工学、解剖学、植物学など、あらゆる分野で大きな業績を残していて、「万能人」という異名を持つほどでした。

かの有名な「モナ・リザ」や「最後の晩餐」を描いた画家としても知られ、人類史上最高の画家の1人というだけでなく、人類史上最も多才な人物であるとも言われています。
しかし、彼の絵画作品は、現在15点ほどしか残っていません。
これは、ダ・ヴィンチが完璧主義者であったために、自分の作品を何度も破棄したり、新しい技法を試すことに時間をかけたり、1つの作品の完成までに長期間にわたって何度も手を加えたりしていた、ということが原因と言われています。
ダ・ヴィンチと並べるだけの才能を持っている人物だとされたのは、同時代に生き、ダ・ヴィンチより20歳ほど年下だったミケランジェロ・ブオナローティだけでした。

ただの画家ではなかった?

ダ・ヴィンチは、科学的な面でも素晴らしい才能の持ち主として畏敬の念を集めています。
彼が生きていたのは1400年代半ばから1500年代のはじめ頃ですが、その時代に既に戦車やヘリコプターの概念化をはたし、計算機や太陽エネルギーの理論、初歩のプレートテクトニクス理論の理解をするなど、高度な知能を持っていたことをうかがわせます。
ダ・ヴィンチが設計、構想していた科学技術のうち、彼が生きている間に実行に移されたものはほとんどありませんでしたが、針金の強度検査器、自動糸巻器のようなちょっとしたアイデアは実用化され、製造業のはじまりを作りました。

これだけでなく、土木工学、流体力学、光学、解剖学といった分野においても、重要な発見をしていましたが、ダ・ヴィンチはこれらの発見を公表しませんでした。
そのため、後の科学技術の発展において、直接影響を与えることはなかったと言います。
聞いた話では、コンタクトレンズのもととなるアイデアも、当時すでにダ・ヴィンチは考えついていたということです。

その当時の技術では、ダ・ヴィンチの思いついたアイデア、発見した理論などに追いつくことができなかったのかもしれません。
もし、ダ・ヴィンチが現代に生きていたら、どれだけ多くの発見をしたのだろうかと考えることがあります。
そして、現代に生きていたら、ダ・ヴィンチは一体どんな絵を描いていたのだろうかと思います。

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